#13 あけましておめでとう、でいいのか

慣習に対するシンプルな疑問

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Reading: よくわかる社会心理学*
Listening: 少年と羊 - 有田咲花
Watching: 呪術廻戦 S3E3

メリークリスマスがハッピーホリデイに言い換えられるようになっていますが、これは多様な宗教が互いの生活圏を超えて関わり合うことによって起きた変容です。 日本では特に意識しませんが、クリスマスはキリスト教の宗教行事であり、他の宗教とは全く関係のないものなわけで、確かにメリークリスマスと言われたところで戸惑ってしまいますね。

日本に生活している限り、この点は気にしなくても良いと思いますが、個人的に長年気になっていたのは「あけましておめでとう」でした。

気になっているのは以下です。

  • 年が明けることはめでたいのか

  • 喪中というややこしさと高齢社会

  • 個人レベルの不幸の可視化

まずひとつ目は、めでたいで良いだろという結論も出せますが、別にめでたいことでなくとも良いだろうとも思います。めでたいかどうかは主観であって、それに乗れないというのも自然なことかなと思うのです。事実だけに着目するのであれば、年が変わった、この一点だけです。

ふたつ目は新年の挨拶をしたあとに、実は相手が喪中だったとわかった時などです。あんなに無邪気に挨拶したのに、と気まずくなります。おめでとうと言わなければそんなことは起きません。

さらに高齢社会の現代では、きのうまで元気だったひとが突然亡くなるということも頻繁に起こります。現にいま住んでいる町では連日葬式があり、誰に気持ちよくおめでとうと言えるのかがわからない状況です。

三つ目は、2024年の能登半島地震で感じたことです。新年を迎えてすぐに不幸な状況になった時、いったい何がめでたかったのだろうかと混乱したひとも多かったのではないでしょうか。

もう少し考えてみると、日々の生活の中で事故や怪我、失敗や被害に遭うなど、側から見たら大したことではなくとも、本人にとっては一年を暗くする出来事が起きているのではないかということが SNS を通じて可視化されています。喪中とは違うものですが、そうした個人の不幸もケアするような振る舞いが必要な時代でもあると思います。

そんなことを考え、新年の挨拶は事実だけに基づいた「新年になりましたね。今年もよろしくおねがいします。」これで十分ではないでしょうか。

もっとややこしいことを言うと「誕生日おめでとう」も怪しんでいるのですが、これはまたの機会とします。

私たちが “もっているものでうまくやる” には、少しずつ自分の世界を広げ、自分自身を理解し、思いがけない組み合わせを試してみる必要があります。これらは、そのプロセスの様子です。

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